算命学の基本原理、陰陽論について学んで、自分なりに理解し、考えたことを文章にしてみます。
宇宙は陰と陽から成り立っています。陰と陽は宇宙全体で見ると、ちょうど半分ずつを占めています。どこかで陽が増えるとき、必ずどこかで陰が増えています。陰陽は固定したものではなく、陰は陽、陽は陰に、絶え間なく変化し、循環します。これが宇宙の理です。
宇宙の陰陽の理を図に表したのが、上の太極図です。白い部分が「陽」、黒い部分が「陰」を表します。この円は時計回りに常にぐるぐる回っています。「陽」が大きくなると、その中に一点の「陰」が現れます。そして、一気に「陽」から「陰」へと転じます。「陰」が大きくなると、その中に一転の「陽」が現れます。そして、一気に「陰」から「陽」へと転じます。
陰陽は相対的なものです。何か一つのもの、一つの概念を見るとき、必ず陽と陰の半分ずつになっています。例えば「光」に対して「闇」、「大」に対して「小」、「個」に対して「集団」、「発散」に対して「収縮」、「分離」に対して「和合」、「男」に対して「女」、「精神」に対して「肉体」です。
季節を陰陽で見ると、春~夏は「陽」、秋~冬は「陰」です。春から夏にかけて、太陽のエネルギーにより大地が温まり、草木が新しく芽吹いて伸び、花を咲かせます。これらは「陽」の働きです。秋から冬にかけて、太陽のエネルギーが減少し、春から夏の間に植物が蓄えた太陽のエネルギーは、一個の実、あるいは根に凝縮され、地上の葉は枯れ落ちて、寒々しく死んだような状態になります。これらは「陰」の働きです。
陽の極みに咲く花が受粉した瞬間、「陽中の陰」が出現し、陰の世界である淘汰、結実の方向へ向かいます。
陰の極みで、地中に落ちた種や、樹木の先端の冬芽に「陰中の陽」が出現し、陽の世界である発芽、伸展の方向へ向かいます。
秋から冬の陰の世界があるからこそ、春から夏の陽の世界があります。陰の世界の「淘汰、蓄積、動かずじっと待つこと」が、陽の世界の豊かな発展のために必要不可欠なのです。
緯度の高い地域では、春~夏より秋~冬の期間の方が長くなります。草木の根は長い間雪の下で待つことになります。より緯度の低い地域に比べて、陰の期間が長いぶんだけ、花の美しさは増し、春は爆発的で感動的なものになります。
人間の一生は季節と酷似しています。赤ちゃんが誕生するのは陽の始まりです。10代は青春という言葉通り、季節にたとえれば春です。小さな芽がたくさん吹くように、なんでも新しいことに興味を持ち、いろいろな可能性にチャレンジします。
20代~50代の働き盛りは夏です。植物が茎を伸ばし、葉を茂らせるように、手がけたものを発展させ、社会のために物やサービスを生産します。
花を咲かせて受粉したら陽の時代の終わり、陰の時代の始まりです。人生を振り返り、反省し、次の世代に残すものを選別し、まとめます。植物に例えれば、葉を落とし、果実を太らせる作業です。
果実が完熟し、大地に落ちるとき、それが肉体の死です。冬の間、植物の種が地中に埋もれ、雪の下で次の春をじっと待つように、人間は墓に入り、肉体から開放された魂は天に昇り次の生を待ちます。
現代では、死後の世界は見えないから信じないという人も多いようですが、このように考えるとき、死後の世界や輪廻転生は存在するのが当然の理なのです。人間も宇宙の一部なのですから。
これらのことをよく理解して、宇宙の理に沿って生きるとき、健康で穏やかな人生を送ることができます。全ての病気はこの理を知らない、または拒否していることから来ると言えます。死を恐ろしいものとして拒否し、いつまでも花を咲かせ続けようとすることは、宇宙の理に反します。
人生において、花を咲かせるとは仕事や恋において自分らしさを最大限に輝かせることであり、受粉するとは女性の場合、子供を産むことです。ですから、宇宙の理として、女性は子供を産んだら陰の世界に入るのです。自分の実を育て、次の時代の種子を育むために生きるのです。実をつけた植物がそれ以上花を咲かせるのを止め、余計な枝葉を落とし、全てのエネルギーを、実を完熟させるためだけに注ぐように、家庭に入り、家の中を掃除し、気持ちよく整理整頓して、子供にとって有害なものを排し、栄養となるものだけを与えること。それが宇宙の理に従った生き方なのです。
男性の場合は、結婚して子供が生まれたとしても、それは男性にとっての結実ではありません。男性にとっての結実とは、次世代のためになる仕事の基盤を作り上げ、それを託すべき後継者を見つけることです。それが実現するまで、男性は陽の世界を生きることになります。
男性が主に陽の世界を、女性が主に陰の世界を担当することで、人間社会は長らくバランスが取れていたのです。
現代社会の精神の荒廃、魂の渇きは、人々が陰の世界の重要性を忘れ、これまで陰の世界を担当してきた女性が男性と同じ陽の生き方を志向していること、社会もそれを奨励していること、あるいは強いていることよると私は思います。陰陽のバランスが大きく崩れて、陽に偏っているのです。物質文明は陽、精神文化は陰、目に見える世界は陽、目に見えない世界は陰です。陰の世界の充実なくして陽の世界の繁栄はないのです。
しかし、私は昔に戻るべきだとは思いません。これだけ物質的に豊かになった今、女性と男性の社会的な性差をなくそうとするのは人類の自然な進歩でしょう。これからの時代は、個人個人が陰の世界を充実させていく時代です。女性も男性も等しく、仕事や生産活動にかける時間を今よりも減らし、人生の半分を、緊張も義務も目標もなく遊ぶこと、美しいものを見て楽しむこと、心や魂が欲する書物を読むこと、宇宙に思いをはせ、人生についてとりとめもなく考えること、何もせずただ時間を過ごすことに喜びを感じることなどに振り向け、精神生活を充実させることです。
これまで女性だけが担ってきた子育てや家事や地域社会の維持といった、精神的な安心感を支える、金銭的に評価すべきでない、目に見えない陰の世界を、性別や年齢に関係なく、全ての人が少しずつ担当するようになるのが、目指す方向だと私は思います。
もちろん陽の世界に向いた人、陰の世界に向いた人、両方に向いた人がいます。(それは算命学により占うことが出来ます。)全ての人が無理に陰陽のバランスを厳密に取る必要はありません。陽の世界に向いた人は、より多くを生産活動に捧げ、陰の世界に向いた人はより多くを精神活動に捧げても良いのです。社会全体で見れば、自然にバランスが取れるはずです。
人々が目に見えない世界の重要性をしっかり認識すれば、「全ての人がお金を稼ぐべきだ」、「働かざるもの食うべからず」と言うことにはならないはずです。
陰の世界をメインに生きる人が作り出した、お金に換算できない目に見えない価値、すなわち芸術や人の心の温かさ、遊び心などが社会に幸福感を与え、安定を支えているという構図がしっかり認識されていれば、陽の世界をメインに生きる人が作り出した物やサービスを、陰の世界をメインに生きる人に無料で提供することは、ごく当然と思われるようになるでしょう。
今度はもっと視界を狭めて一人の人間の心の中の陰陽を考えて見ます。
「自信」という概念についての陰陽です。
自信がある時、何でもできる気分になります。いろいろなことに興味を持ち、実際にチャレンジします。自信を持ってやるから何でもうまくいきます。さらに自信を強めて、もっと難しいことにもチャレンジします。この状態は「陽」です。いい気分で、自分を好きでいられ、永続的にこうありたいと望みます。
しかし、いつまでもこの状態でいることは出来ないのが宇宙の理です。この状態には「陽中の陰」が存在します。本当に自信があるなら、なぜいろんなことにチャレンジする必要があるのでしょう。今の自信を元手にさらなる自信をつけるために、いろんなことにチャレンジして成功を重ねようとするのは、心のどこかで、今の自信が根拠の無い幻想であることを知っているのです。つまり、究極的には自信がないのです。それが「陽中の陰」です。
自信がないとき、何もできない気がして、全てに対して消極的になります。この状態は「陰」です。陰鬱な気分で、こんな自分はもう嫌だと思いながらも、そこから抜け出す自信がないので何もできません。
しかしこの状態も永遠には続きません。そもそも、自信がないくせに、なぜ何もせずにいられるのでしょう。それは、何もしなくても何とかなると心のどこかで思っているのではないでしょうか。それは究極的には自信があると言うことです。それが「陰中の陽」です。
自信があるという状態と自信がないと言う状態は、このように裏表です。人間はこの二つの状態を行ったり来たりする存在です。陰と陽はどちらが良くてどちらが悪いと言うことではなく、ただ同じものの裏表であり、絶えず循環するものです。
自信がある状態は陽の状態です。陽が極まり、いろいろなことに手を出せば、いつか破綻します。もともと心の奥にあった自信のなさ、精神的な空虚感が表面化するのです。そして自信がなく消極的な陰の状態がやってきます。陰が極まって、どん底まで落ち込んだとき、「それでも私は生きている」という事実に気づきます。生命の根元からくるゆるぎない自信を感じます。それがあったから観念的な世界で悩んでいられたのです。悩むことにより精神世界が十分に充実したとき、陽の世界への扉が再び開きます。
全ての人がこれを繰り返しますが、陰陽の振幅の大きさは人によって違います。陽の時、陽であり続けることにこだわる人は、やがて周囲を巻き込むような大規模な崩壊を起こして大きな陰の状態に突入することを宿命づけられます。陰の時、陰の状態に頑固にとどまり続ける人は、死ぬほどの絶望の後に生命の喜びを再発見することになります。
多くの人は、心を2つかそれ以上の部分に区切り、陰陽を同時進行で行うことによって、心の一部では悩み迷いながらも、別の部分で行動することができます。そういう人は他人から見ると悩みが少ないように見えますが、陰の部分を内側に隠しているのです。
うつ病や躁うつ病と言われる状態になるのは、もともと不器用で、心を区切るのが下手な人か、もしくは区切った陰の部分を否定して、無視し続け、バランスを崩した結果かもしれません。
しかしうつ病のような極端な状態を経験することによって、陰陽の貴重な学びを体で覚えることができます。
陽の時にやがて陰がくることを知っており、陰の時にやがて陽がくることを忘れない人は、振幅が小さくなり、穏やかな人生を送ることができるでしょう。
振幅の大きな人生と小さな人生はどちらがよいとか悪いとか言うものではありません。これもまた陰陽なのです。大きな波は陽、小さな波は陰。陰陽が入り交じってこの豊かな世界が形成されているのです。
一つ一つの魂を陽とするとき、そのすべてを含む宇宙は陰となります。陰と陽は本来同じものの裏と表です。陽があるから陰があり、陰があるから陽があります。宇宙の中に個々の魂があり、個々の魂の中に宇宙があります。陽は陰の父、陰は陽の母です。父は個々の意志、母は全ての源です。陰陽の交わりにより宇宙の万物が生まれ育つのです。
一つの魂が迷いと苦しみの闇の時期を抜け、澄みわたった光に満ちる時、宇宙のどこかで別の場所で闇が広がります。光は闇の犠牲の上にあり、闇は光を支える偉大なものです。闇の苦しみを知った魂にしか、光の喜びを感じることはできません。光と闇は愛の陰陽です。光とは愛そのもの、闇とは愛がない状態のことです。
一つ一つの魂が、自分の意志で、闇と光の両方の体験をし、愛というものを実感させてもらえる豊かな遊び場、それがこの宇宙です。光を選ぶのも闇を選ぶのも自由です。個々の魂に選択が任されています。
思うに、きっと寛大な宇宙は私たちが光を選んだ分、闇を飲み込んでくれます。
私は闇を知って、光を選びます。
そして、闇の中で光を探し、光を選ぼうとする人たちとつながって、この地球を愛の光で満たしたい。それが私という一つの魂の望みです。